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入管(難民)法改正について(3):難民政策の世界標準は「国益重視」です。 

 入管法改正案が6月9日、参議院本会議でも可決されました。これにより、原則として同じ人が難民申請を行うことができるのは2回まで、ということになりました。他方で、今回の改正案には15もの付帯決議がつきました。これは異例のことです。付帯決議の中には、庇護申請者の出身国情報の分析能力を高める、等の目標も盛り込まれており、危険な国へ送還することのないよう、いわゆる「ノン・ルフールマン原則」を十分に考慮した上での措置が取られることとなっています。

 今次これほど人権や人道分野についての国際社会の意識が高まっている時代はありませんので、その中で日本が明らかに反人道的、差別的な政策を行えるわけがないことは言うまでもありません。しかし、最近メディアでは、日本をそのように批判する記事が多くなっているようであります。

 その中で浮上している問題の一つが難民審査参与員の問題です。様々な報道がなされているようですが、聞き及ぶ、また拝見するところによると、難民審査を多く担当する参与員は難民制度についての知識がない人たちだ、とか、日本の難民申請者には難民がほとんどいないと言った参与員は非人道的だとか、そういった報道には心を痛めます。参与員のあり方に是非の意見があるのは当然で、それ自体は健全な言論の自由のあり方だと思います。しかし、少なくとも難民審査参与員の1人である私が経験したところによると、難民審査を多く担当する参与員が全て素人だという指摘は事実ではありません(少なくとも、私は難民問題の専門家で、かつ担当する案件は多いです)。また、難民として認定される人がほとんどいない、ということは数字にも現れる事実ですので、この発言だけをもって特定の参与員を非人道的と批判するのもどうかと思います。

 ただ、私はこういった意見は容認し難いけれども、解釈の仕方によってはそういう見方もあるか、と言えるかもしれません。しかしながら、私が最も事実誤認で認め難い、と思ったのは、こちらの記事にあった、大学教授の方による「移民の受け入れならば国益という視点を持っても良いと思います。しかし、難民は移民ではなくて」というコメントです。本当にこの大学教授がおっしゃったのかどうか、ご本人に直接確かめていないのでその上で申し上げる失礼をお許しいただければ、このコメントこそまさに、専門家ではなく、素人の意見です。難民保護の歴史は、その当初から本質的に国益が絡む国の政策(方針)でありました。少なくとも第二次大戦前後に難民保護のための国際機関(UNHCRを含む)がいくつもつくられた背景には、冷戦期の米国による対ソ外交政策を効果的に実践するという狙いがありました。これは何も偏った主張をする(右翼などの)グループによる政治主張ではなくて、難民に寄り添いつつ、より客観的に難民研究をしている複数の学者、具体的にはGil LoescherやAlex Betts(オックスフォード大学教授)の著書や論文に明晰に著されているのです。冷戦後の国際社会においては、国際機関の自律性が相対的に増大したり、覇権国としての米国の地位がこれも相対的に低下したりといった国際構造の変動の中で、米国以外にも多くの国々が国益追求の手段として難民政策を策定し、実践しています。中国ですら(といっては失礼かもしれませんが)、アジア内の中国系の人々を難民として受け入れることで、いわゆる「受け入れ数」においては日本を大きく凌駕しています。しかし、その反面、たとえば北朝鮮からの庇護申請者は頑なに受け入れないなど、まさに現実政治の一環における難民の選別を行なっているわけです。このような行為が倫理上、道義的に問題である、という批判はあり得ますし、同じような批判の観点は(コンテクストは違いますが)日本にも当てはまるかとは思います。私は容認しませんが(しつこくてすみません)。しかし、批判の前提となる事実を、しかもアカデミアの立場でありながら間違って情報発信するということは、あってはならないと考えるわけです。

 もちろん、私自身も学説の理解が誤っていたり、その他間違いをすることがありますので、偉そうに他の方を批判したりはできない立場です(すみません。。)。しかし、今回はそれこそ、難民や外国人をいかに大切に扱うか、その適切な方法をいかに誤りなく選別するか、ということが問題の焦点であるわけなのですから、その問題の前提となる理解がミスリードされることがあってはならないのではないか、と思いました。したがって、今回の批判は特定の人に対する批判というよりも、行為に対する批判として甘んじて受け止めていただければと思います。

 そして、今回3回目以降の難民申請が認められず、本国に送還されることになる外国人の方々に対しては、私はこのような見解を持っています。つまり、ルールを甘んじて受け止めることは必要。しかし、本国情勢が著しく悪化する場合などを踏まえ、できるだけNGOや日本政府のサポートを受けられる環境に身を置くべきだというものです。つまり、本国に返したらはい、それまで、というのは、やはり世界規模での難民問題の解決のあり方としては適切ではなく、別途難民保護のための国際協力のあり方について、日本政府がリーダーシップをとるべきだ、というのが私の考えです。こちらについては、また日を改めて書きます。

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