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執筆者の写真Midori Okabe

外国人政策論議(1)ー本当の争点はどこにあるか?

 みなさまご無沙汰しております。「たまにしか投稿しない」と元から宣言していたとはいえ、前回から5ヶ月も経ってしまいました。

この間、2つの重要な事柄の進展があり、それに伴ってお仕事も増えました。一方では、私のこれまでのお仕事をより多くの人に理解してもらえるチャンスとありがたく思っています。他方では、多くの意見が参入することになり、それ自体は民主主義社会における真っ当な議論のあり方として喜ばしい限りですが、論者の主張(持論)と客観的事実との読み分けが必要になる、という、いわば情報リテラシーとも関わる複雑な様相が現れてきたと思う今日この頃です。

 さて、2つの重要な事柄、としましたが、1つは英国のルワンダ難民送還事案です。これについては、現在進行形で仕事をしていますので、後日ブログにおさめたいと思います。そして、2つ目が、今回取り上げる我が国政府の外国人関連法案についての審議です。

 これについては、まず今年2月に『月刊社労士(2月号)』に「外国人受け入れの現状と新制度への期待」という短い論考を寄稿しました。ここで書いたことを少し紹介していきます。

 今般法改正案においては、①国際的に評判が悪かった技能実習制度を廃止、②育成就労制度(新設)→特定技能(1号)→特定技能(2号)という流れをスムーズに行うことで安定的な労働力確保を目指す、③日本が「選ばれる国」になるよう努力する、という大きく3点が議論の焦点となっています。このうち、私が特に気に留めたのは②と③でした。まず、②については、政府はどうも実質的に大量の、かつ相対的に技能が低い外国人を受け入れるつもりになっているな、と踏みました。それだけ読むと「なになに、日本は実質移民受け入れを解禁するつもりか!大量の役に立たない外国人が入ってきたら受け入れ負担が大きくなるだけじゃないか!」と読めなくもない。なので、事情をあまり知らない方が論評すると、これは、移民による日本への侵略だ!ということになってしまう。

 しかしながら、実際の問題は、外国人がやってくる、のではなく、むしろやってこない、ところにあるのです。随分と前から、IT技術者や科学者など高度技能者の獲得をめぐっては、世界規模で競争が起こっています。あの米国ですら、慢性的な人手不足です。ところが最近では、そうした高度技能者に限らず、より単純労働に近い労働者をも対象にした獲得競争が展開されている。つまり、以前なら当然日本にやってくるような人々が、欧米だけでなく中国や他の東南アジア諸国に行ってしまう。外国人労働者にとって、今の日本は決して魅力的な出稼ぎ先ではないのです。

 政府案はこの現状を踏まえた上で、③を提起しています。つまり、外国人をより惹きつけるような日本社会を早急に創らないと、ということです。

 ここでの争点は、一体何を目的に制度を作るか、ということになります。より多くの(有能な)外国人が日本に来ること自体を目的とするのか、それとも、そのような外国人労働力を受け入れることによって日本や日本人が豊かになることを目的とするのか。私は後者の目標設定が大切だと思っています。他方で現行の法案は前者を目指しているだけのように見える。だから、まだ十分ではないのだ、とこのように思っています。

 実際、このような観点から、NHK日曜討論NHKラジオ、そして先月末国会で衆議院法務委員会での参考人として諸々申し述べました。端的には、日本が豊かになる、そして日本人ひとりひとりの生活水準があがることで、初めて外国人労働力受け入れ政策の成功が図れるのだと。だから、外国人におもねる(政府の人からは「寄り添う」と訂正されましたが^^)政策を続けるのではなく、日本人にとってよい労働政策、インフラ整備を進め、日本に憧れて自らやってくるような外国人を増やすという方に舵を切るべきだ、と。こういう主張です。必要なのは労働力の質をコントロールすること、職業訓練コストと生産性との兼ね合いを十分にシミュレートし、また事後もアセスすること、労働市場テストを頻繁に行い、外国人と日本人の労働力調整を行うこと、今後外国人政策を入管の方だけに任せず、財政、経済、労働、外務、公安、教育その他の政策分野を併せた包括的な組織体制で運用すること、そして何よりも、単発で終わる制度設計にするのではなく、日本人の賃金上昇を妨げる要因となっていないか、また日本経済の成長にどの程度寄与しているのかをレポートの形などで提起的に対外発信することが必要だとうったえています。

 つまり、今必要な議論は、良質な外国人労働力を当然に期待できる環境にない、人手不足を短期的に解消したいという政治力が大きい、しかし賢明にやらないと欧米のような政治の分断(ポピュリストによる国民煽動や社会不安の発生)が起こる、従ってそれを未然に防ぐ策をいかに講じるか、ということなのです。極論を言えば、今の時点で移民は要らない、という議論をすることは、外国人の権利を国民の権利を蔑ろにしてでも保障しろ、という議論に近いのです。つまり、右も左も、行きすぎると現実を踏まえた主張ではなくなる点で、同じになってしまう。我々日本人にとって重要なのは、自らの生活が豊かになり、働くことに意義を見出し、楽しい人生を送れるようになる、ということのはずです。その状態に行き着くために、右派的、左派的考え方のいずれも必要、しかしいずれかにどっぷり浸かってしまうと、途端に現実世界の問題解決からは遠ざかってしまう。この危険性については、後日改めて欧米の事例をもとに紹介したいと思っています。




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